層雲峡開拓の歴史、湧出温泉の発見
層雲峡初の本格的旅館
峡谷や紅葉の美しさで有名な層雲峡温泉は、塩谷水次郎氏、古宿小八氏らによって温泉の湧出が発見されて100年以上経ちます。
大正時代にはいり、いろいろな書籍や文人によって塩谷温泉などが世間に知られるようになり、湯小屋が建てられるようになりました。
その湯小屋が温泉宿の原型となったのです。塩谷温泉の湯小屋は、現在の層雲閣グランドホテルの原型となっています。
 
塩谷父子により層雲閣の前身である塩谷温泉が発見される。
当時の湧出口は「桂の湯」と呼ばれ、塩谷温泉(層雲閣)につながっていました。
 
ソウンベツ(双雲別)の開拓が始まる。
 
大町桂月により層雲峡と名付けられる。
大町桂月
 

当時の塩谷温泉
 
この年に押し寄せた暴風雨により、塩谷温泉は多大な被害を受ける。
11月に塩谷父子より、荒井初一氏へ権利譲渡される。
当時、荒井初一経営の荒井組は、塩谷温泉近くで石北線鉄道工事を請け負っていたため、従業員の仮宿泊場とする。それが後の層雲閣の原点となる。
 
 
北海道山岳創立記念の第一回登山会を層雲峡で実施。
層雲閣に駅逓所の認可がおりる。
旅館を新築し、塩谷温泉層雲閣として、
本格的に温泉事業を始める。
荒井初一氏が私費によって層雲峡温泉までの道をつける。
 
荒井初一氏が、多雲別(現在の清川)から層雲峡間の9kmを
私費(当時の4万円を寄付)によって自動車道路を造る。
層雲峡駅逓所を竣工する。
 
北海道庁官「中川建蔵」氏、層雲峡を訪れる。
長官のために、昼夜兼行で工事し本館浴場「桂の湯」完成させる。
大正末期の層雲閣

新日本百景に層雲峡が選ばれる。
 
 
荒井初一氏が現在の日赤分院を造り、陸軍に寄付。
日赤分院 正面
創業者荒井初一氏、死去。
創業者 荒井初一氏
増築工事中の層雲閣
 
 
層雲峡温泉開拓功労者として荒井初一氏の銅像建立。
(現在の層雲峡バスターミナルの所)
「美人の湯」「霊光の湯」完成。
昭和4年建立
昭和24年建立
昭和29年建立
創業当時の層雲峡は、山岳地帯で峡谷は原始のままの状態。
まだ道路のない時代でした。
その層雲峡までの道路をひき、駄馬を歩かせ、本格的温泉旅館を最初に建てたのが創業者荒井初一でした。
荒井初一は死去するまで、層雲峡と層雲閣を愛し、層雲峡にもっとも貢献した一人なのです。その事は、荒井初一の銅像が層雲峡にたっている事からも伺えます。
 
昭和4年 層雲峡案内

閑院宮様、層雲峡にご宿泊。
12月9日、層雲峡など大雪山一体が
大雪山国立公園に指定される。

層雲峡に電気が送電される。
層雲峡を訪れた閑院宮様(前列中央)

新館を新築し、マロン大浴場完成。
昭和36年 層雲閣風景(旭川市中央図書館所蔵)
昭和45年 層雲峡案内の二つ折り表紙
層雲峡鳥瞰図

別館5階建(現在のB館)を新築。展望鏡を設置する。
昭和39年 層雲閣風景
 
 
昭和48年に新築された層雲閣グランドホテル A本館
本館10階建(現在のA館)を新築。
名称も層雲閣から
層雲閣グランドホテルへと改名。


マルモ大浴場が完成。
マルモ大浴場
峡谷露天風呂

7月に野趣あふれる峡谷露天風呂が完成。

スポーツからイベント、会議までできる
多目的ホール(全天候型アリーナ)を新築。
全天候型アリーナ

11月から札幌-層雲峡間に高速バス「スーパーライナー」就航。
 
 

70周年に向けてリニューアル工事開始。

お食事処「えぞ松」完成。
新ビュッフェレストラン

創業80周年を迎える。


創業90周年を迎える。


新ビュッフェレストランOPEN
層雲峡開拓の歴史、
湧出温泉の発見
層雲峡初の本格的旅館
峡谷や紅葉の美しさで有名な層雲峡温泉は、塩谷水次郎氏、古宿小八氏らによって温泉の湧出が発見されて100年以上経ちます。
大正時代にはいり、いろいろな書籍や文人によって塩谷温泉などが世間に知られるようになり、湯小屋が建てられるようになりました。
その湯小屋が温泉宿の原型となったのです。塩谷温泉の湯小屋は、現在の層雲閣グランドホテルの原型となっています。
 
1900明治33
層雲閣の歴史
塩谷父子により層雲閣の前身である塩谷温泉が発見される。当時の湧出口は「桂の湯」と呼ばれ、塩谷温泉(層雲閣)につながっていました。
 
1916大正5
層雲峡の歴史
ソウンベツ(双雲別)の開拓が始まる。
 
1919大正8
層雲峡の歴史
大町桂月により層雲峡と名付けられる。
大町桂月
 
1921大正10
層雲閣の歴史
当時の塩谷温泉
 
1922大正11
層雲峡の歴史
この年に押し寄せた暴風雨により、塩谷温泉は多大な被害を受ける。
 
 
層雲閣の歴史
11月に塩谷父子より、荒井初一氏へ権利譲渡される。当時、荒井初一経営の荒井組は、塩谷温泉近くで石北線鉄道工事を請け負っていたため、従業員の仮宿泊場とする。それが後の層雲閣の原点となる。
 
 
1923大正12
層雲閣の歴史
層雲閣に駅逓所の認可がおりる。
旅館を新築し、塩谷温泉層雲閣として、
本格的に温泉事業を始める。
荒井初一氏が私費によって層雲峡温泉までの道をつける。
 
 
層雲峡の歴史
北海道山岳創立記念の第一回登山会を層雲峡で実施。
 
1925大正14
層雲峡の歴史
荒井初一氏が、多雲別(現在の清川)から層雲峡間の9kmを私費(当時の4万円を寄付)によって自動車道路を造る。
 
 
層雲閣の歴史
層雲峡駅逓所を竣工する。
 
1926大正15
層雲峡の歴史
北海道庁官「中川建蔵」氏、層雲峡を訪れる。
 
 
層雲閣の歴史
長官のために、昼夜兼行で工事し本館浴場「桂の湯」完成させる。
大正末期の層雲閣
 
1927昭和2
層雲峡の歴史
新日本百景に層雲峡が選ばれる。
 
1928昭和3
層雲峡の歴史
荒井初一氏が現在の日赤分院を造り、陸軍に寄付。
日赤分院 正面
 
 
層雲閣の歴史
創業者荒井初一氏、死去。
創業者 荒井初一氏
増築工事中の層雲閣
 
1929昭和4
層雲峡の歴史
層雲峡温泉開拓功労者として荒井初一氏の銅像建立。(現在の層雲峡バスターミナルの所)
昭和4年建立
昭和24年建立
昭和29年建立
創業当時の層雲峡は、山岳地帯で峡谷は原始のままの状態。
まだ道路のない時代でした。
その層雲峡までの道路をひき、駄馬を歩かせ、本格的温泉旅館を最初に建てたのが創業者荒井初一でした。
荒井初一は死去するまで、層雲峡と層雲閣を愛し、層雲峡にもっとも貢献した一人なのです。その事は、荒井初一の銅像が層雲峡にたっている事からも伺えます。
 
 
層雲閣の歴史
「美人の湯」「霊光の湯」完成。
昭和4年 層雲峡案内
 
1931昭和6
層雲閣の歴史
閑院宮様、層雲峡にご宿泊。
層雲峡を訪れた閑院宮様(前列中央)
 
1934昭和9
層雲峡の歴史
12月9日、層雲峡など大雪山一体が大雪山国立公園に指定される。
 
1944昭和19
層雲峡の歴史
層雲峡に電気が送電される。
 
1957昭和32
層雲閣の歴史
新館を新築し、マロン大浴場完成。
昭和36年 層雲閣風景(旭川市中央図書館所蔵)
 
1964昭和39
層雲閣の歴史
別館5階建(現在のB館)を新築。展望鏡を設置する。
昭和39年 層雲閣風景
昭和45年 層雲峡案内の二つ折り表紙
層雲峡鳥瞰図
 
 
1973昭和48
層雲閣の歴史
本館10階建(現在のA館)を新築。
名称も層雲閣から
層雲閣グランドホテルへと改名。
昭和48年に新築された層雲閣グランドホテル A本館
 
1981昭和56
層雲閣の歴史
マルモ大浴場が完成。
マルモ大浴場
 
1986昭和61
層雲閣の歴史
7月に野趣あふれる峡谷露天風呂が完成。
峡谷露天風呂
 
1987昭和62
層雲閣の歴史
スポーツからイベント、会議までできる多目的ホール(全天候型アリーナ)を新築。
全天候型アリーナ
 
1992平成4
層雲峡の歴史
11月から札幌-層雲峡間に高速バス「スーパーライナー」就航。
 
1993平成5
層雲閣の歴史
70周年に向けてリニューアル工事開始。
 
2000平成12
層雲閣の歴史
お食事処「えぞ松」完成。
 
2003平成15
層雲閣の歴史
創業80周年を迎える。
 
2013平成25
層雲閣の歴史
創業90周年を迎える。
 
2021令和3
層雲閣の歴史
新ビュッフェレストランOPEN
新ビュッフェレストラン
大正12年より創業者荒井初一の想いを伝え続け、
その歴史とおもてなしの心は
常に受け継がれる。
層雲閣ゆかりの人
 
文人・大町 桂月
おおまち けいげつ [1869~1925]
本名:芳衛  生まれ:高知市
美文家として高名な大町桂月は、土佐の藩士の子として生まれ、東京帝国大学国文科在学中から新体詩や文芸評論を書き、注目を集めていました。
卒業後は教師や出版社に務めていましたが、全国を旅して書いた紀行文など多くの著書が有名です。なかでも「北海道山水大観」が著名。
大正10年(1921)に「中央公論」に発表された紀行文「層雲峡から大雪山へ」のはじめに「富士山に登って山岳の高さを語れ、大雪山に登って山岳の大きさを語れ」の一文があり、この紀行文によって大雪山(層雲峡)が全国に紹介されました。
「層雲峡」はアイヌ語の「ソウウンベツ」にちなんで桂月が名付けました。
大雪山国立公園の桂月岳には桂月の碑文があります。
「人若し余に北海道の山水を問はば、第一に大雪山を挙ぐべし。次に層雲峡を挙ぐべし。
大雪山は頂上広くして、お花畑の多き点に於いて、層雲峡は了崖の高く且つ奇なる点に於いて、いずれも天下無双也」
詩人・野口 雨情
のぐち うじょう [1882~1945]
本名:英吉  生まれ:茨城県
野口雨情は、63年という生涯の中、2000近くに渡る沢山の詩を全国を巡りながら造り続けた歴史に残る詩人家です。
全国各地には、彼が残した詩をもとに作られた歌碑が数多く存在します。
層雲閣グランドホテルの露天風呂「宝石の湯」では、野口雨情が層雲峡に訪れた時に作られた詩、「大函小函」の歌碑が設置されています。
野口雨情は、明治15年(1882年)茨城県多賀郡、父 量平・母 てるの長男として生まれました。
明治40年に新聞記者として北海道で渡り、札幌の「北鳴新報社」入社、その時に知り合った石川啄木の紹介で層雲峡の存在を知り、この地で「大函小函」の詩を造ったのです。